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禅宗の祖、菩提達磨大師の御命日

厳ついお顔の木彫りダルマさん

[ダルマさんは実在したとっても偉い禅僧]

「だーるまさん。だーるまさん。にーらめっこしましょ。笑ったら負けよ。あっぷっぷ」

「だるまさんがころんだ。」など幼少期歌いながら楽しく遊んだ人も多いと思います。

日本人はダルマさんが大好きです。「雪ダルマ」「ダルマ落とし」など、ダルマさんにちなんだ言葉がいくつかあります。ダルマさんの絵本もあって、子供達も喜んで聞いています。

選挙や受験などの勝負事などの縁起物としても古くから親しまれている「ダルマ」。そんな「ダルマ」さんは実はとーっても偉い禅宗のお坊さんがモデルになっています。

「ダルマさん」こと菩提達磨大師は、5世紀後半から6世紀前半に禅宗の祖と崇められ、日本の禅宗にも大変な影響を与えている実在の人物です。多くの伝説が言い伝えられている方で、天竺(インド)より中国に渡り、お釈迦様の正しい教えを伝えに来られました。菩提達磨大師が中国で優秀な弟子を育て、その教えが日本に伝わり、今日の禅宗の礎となっています。宗門における菩提達磨大師はお釈迦様が坐禅してお悟りをされた「坐禅」を教えとして広めた禅宗の開祖といえるとっても、とっても偉いお坊さんなのです。

天竺より達磨大師のお師匠様より中国に行き、お釈迦様正伝の仏法を伝えるように言われ、高齢になってから(逸話があるので興味ある方は調べて下さい)、中国に渡りました。

伝説ですが、菩提達磨大師は150歳まで生きたという逸話が残っています(笑)凄いですよね。

さて、当時の中国大陸は南北朝に分かれており、南朝は梁という国が治めていました。梁は武帝の時代であり、武帝は仏教を厚く信仰していました。天竺(インド)より来た高僧である菩提達磨の噂を聞き、すぐに喜んで迎え入れました。その時、武帝と菩提達磨との問答が、現在、禅宗で有名な「達磨廓然の話」になります。


問答「達磨廓然」

武帝と菩提達磨は宮殿にて相対し問答をしました。武帝は早速、菩提達磨に問いかけました。

武帝「朕は即位してから沢山の寺院を建立し、お経も写し、僧侶たちに修行の場を与えたり、教団を支援したり、数えきれないほど、仏教に帰依し貢献してきたが、この功績における功徳はいかほどになるか」

達磨「無功徳(なにも功徳などない。)」

武帝「なぜ、無功徳なのか」

達磨「所詮は人間が定めた因果(功績)であり、新たな煩悩の要因を作っているだけである。貴方がしている事は何も功徳ではない。

武帝「では真の功徳とはなんだ」

達磨「求めようとするものではない」

武帝「では功徳を積む一番の方法とはなんなのだ」

達磨「なにもない」

武帝「朕の目の前にいるお前は何者だ!」

達磨「何者でもない」

武帝は菩提達磨の答えを計れず納得できませんでした。

菩提達磨も縁がなかったと思い北魏に向かいました。その後、武帝は考えを改め、達磨大師を呼び戻そうとしましたが、ついに叶いませんでした。

その後、嵩山少林寺(世界的にも有名な少林寺武術の寺院)の洞窟にて面壁坐禅(壁に向かって座る事)を9年(面壁九年)続けました。

その後、優秀な弟子を育て、お釈迦様より伝わった教えを中国に伝え、その後、日本にも伝わりました。


曹洞宗の坐禅は面壁坐禅ですが、この菩提達磨大師の坐禅法を今も継承しているのです。

日頃慣れ親しまれている「ダルマさん」の姿は坐禅している姿です。「黙して語らず」黙々と坐禅する姿こそが禅であります。現在でも色々な生活の中で愛され親しまれているとっても懐の深いダルマさん。禅宗の僧侶の有り方であると思います。

ちなみに、赤い姿なのが一般的ですが、これは菩提達磨大師が赤い衣を着ていた事から、赤い色になります。

10月5日は、菩提達磨大師の御命日といわれており、曹洞宗では両本山、各寺院でも毎年、法要が厳修されています。

※尚、武帝と達磨大師の「達磨廓然」問答の部分は、原文より大幅に、簡略と拙僧の解釈、原文の意図と離れた解釈も多々ありますので、興味のある方は有名な問答ですので調べて見て下さい。

達磨図

住職 永島 匡宏 合掌

 

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