時時勤払拭/禅語紹介②
新年を迎え、10日が過ぎました。あっという間に時間が過ぎていきます。曹洞宗の「修証義」の一節に「光陰矢の如し」「悪戯に百歳生きる事なかれ」とあります。毎日の日課でこの教を読むわけですが、いつも「お前(自己)の事だぞ」と、反省しながら、読経しております。
しかし、この正月も、毎年の反省も活かされず、しっかりと正月太りをしてしまいました(笑)冬になると、外の作務や、面倒な作業は、後回しにしがちです。室内にこもって作業ばかりすると、どうしても身体がなまります。本来は、寒かろうが、正月だろうが、禅僧は日々同じように過ごす事が大切になります。
さて、今回紹介させていただく禅語は「時時勤払拭(じじにつとめてふっしきせよ)」です。
時時勤払拭(じじにつとめてふっしきせよ)
これは中国の禅僧「神秀(605~706)」の偈の一部になります。
身は是れ菩提樹 心は明鏡の如し
時々に勤めて払拭し 塵埃を惹かしむ莫れ
この偈の意味は、本来人間は誰しもが仏の心(仏性)が備わっているが、心(鏡)も毎日磨かなければ、やがて曇ってしまう。だから、日々の生活も、塵や埃が溜まらないように、心の掃除を常に意識して、過ごさなければいけないよ。という意味合いがあります。
しかし、実はこの偈。禅宗の中では、あまり評価されない言葉でした。この時、同じ禅僧の名僧「六祖慧能」が、この偈を聞き、これは喝破したのです。
本来無一物 何処にか塵埃を惹かん
そもそも、人間の心に鏡など、存在しない。自らが創り上げている幻想のようなもの。なのに、塵や埃など、どこに溜まるのか。こう返した訳です。
六祖慧能の言葉は真理をついております。真理ではありますが、私は神秀の言葉にも、非常に惹かれます。私も含めて、多くの方が「凡夫」であります。禅宗の僧侶が目指すところは、慧能のおっしゃる処ではありますが、云わば悟りの境地になります。我々凡夫はこの神秀の言葉が非常にしっくりくるのです。
神秀のこの偈は、現代に生きる私たちにも多くのヒントをくれます。現在もこの禅語が愛され、残っているのも、我々凡夫には一つの真理だからかもしれません。
人間関係も、仕事も、生活も、日々の自分ができる精一杯で生き、どんな時でも成すべき事は成す事が大切である事をこの禅語は教えてくれております。
住職 永島 匡宏 合掌
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