承認欲求と仏教/たぬ吉和尚と小話
たぬ吉「ハッシュタグに青岸寺っと・・・よし!送信。」
住職「何してるの?たぬ吉君。」
たぬ吉「住職さん。SNSですよ。InstagramやTwitter、Facebook、最近ではclubhouseもはじめたんですよ」
住職「凄い。最先端たぬき・・・いや和尚さんだね。青岸寺でもSNSを活用しているけど正直苦手だよ。私が本山に修行していたのが平成19年から平成24年まで。この期間でだいぶ世間から取り残されました(笑)青岸寺を多くの方に知ってもらうためにSNSも活用しているけど正直必死だよ。」
「line(ライン)も利用していなかった時に知り合いに「君、敷居が高いね」と言われたのが衝撃的だったな~。」
たぬ吉「それはしょうがないですよ。仕事でもプライベートでもコミュニケーションスキルの一つですから。
住職「確かにね。」
たぬ吉「自分の投稿したものに「いいね」がつくと嬉しいですよ。いろいろな人に共感してもらえると自分が認められた気がして自己肯定感も上がりますしね。」
住職「承認欲求ってやつだ。」
たぬ吉「それです。」
住職「承認欲求というのは仏道修行にとってなかなかの手ごわい欲望の一つだよ」
たぬ吉「へ~。でも実際先ほど言ったように人に認められたいとか、自身の存在意義を肯定してもらいたい上で生きていくうえで必要なもののような気がします。」
住職「たしかに。僕たちが生まれて成長する上で、他者に褒められたり、肯定されて自己肯定感が育まれるし、学校のシステムだって、社会にでたって、基本的には他者よりも優れている結果を出し続ける事で(平均値を作る)、人とは異なる「自分」「私」という評価が高まるよね。」
「他にも、容姿、外見、収入、学歴、先ほどのSNSでのフォロワー数やいいね欲求など私たちは人と比べ「分別」をつける事で「私」の肯定感を高めていると錯覚しています。」
たぬ吉「錯覚?ですか。」
住職「そもそも本当に自己肯定が確立している人は他者の評価などに左右されずに生きています。そういった人は他者と自身との評価を比べる事ない、少ない方に多い気がします。」
「よく人格が良い人は物事の分別がついている。なんて言われますが、分別(相対的に比べる)こそが大きな悪さをしています要因ではないかと・・・」
「そこでわかることは、他者から得る事ができる承認欲求では、芯にある「私」の肯定感は育たないのではないか。一番の要因はやはり「諸行無常(すべてのものに永遠はない)」「一切皆苦(生きることは満たされない)」などの事実があるにも関わらず、他者(流動的な存在)に自己の評価を任せていることにあります。自身こそが人生の「主人」でなければいけません。」
「ようするに「私」の自己肯定感とは他者からの承認ではなく、自己を認めてあげる事で、初めて高まるものであるといえます。(更にいうと自己を離れたところといっても良い)といっても、これは遺伝的要因と環境的要因も大きく起因しているので自己肯定感を育むうえですべてを否定することではないことを留意しておきます。(家庭の愛情によって育まれる初期自己肯定感は社会で生きる上で非常に大切であるし、この愛情がなければ人格に大きな影響がある事は理解されている(慈悲のめばえ)」
※上記の考え方は仏教の本質を説いてない事を留意しておきます。
たぬ吉「なるほど。でもそれと仏教は関係があるのですか?」
住職「先ほどいったように承認欲求というのはなかなか強い煩悩であります。よく三大欲求と言われる(睡眠欲・食欲・性欲)などが聞かれますが、これらは生きていく、もしくは種を残していく為の生存本能に基づくものであります。なければいけない本能。求め過ぎずに、否定しずぎてもいけないものです。」
「しかし、この承認欲求は欲望の底なし沼のように求めれば求めるほど深く溺れてしまう恐ろしい煩悩です。人間の根本的煩悩であり、さまざまな煩悩に枝分かれしていく煩悩の根幹にあるような非常に強い欲求です。時には三大欲求ですら忘れさせるほど恐ろしい麻薬のような中毒性もあります。」
たぬ吉「たしかに、YouTubeとかSNSを見てると夜更かししたり、食事を疎かにしたり、人との時間も携帯ばっかり気にしてしまう時があります。」
「今や承認欲求の専属奴隷となっているかもしれません」
住職「承認欲求を欲している私が実は承認欲求という欲望の奴隷になっているか・・・。確かにそうかもしれないね。」
「お釈迦様はそれらの煩悩の奴隷化している人間という性質を理解し、その結果から生じる苦しみ(満たされない)や輪廻転生しつづける世界から抜け出す方法を説いています。」
たぬ吉「四諦ですか?」
住職「そう。【四諦】です。これは四つの真理と簡単にいえば訳せます。そうですね。次回は四諦について解説いたします。」
たぬ吉「有難うございます。簡単に説明してくださいね」
住職(・・・簡単に説明できたら苦労しないよ(苦笑))
住職 永島 匡宏 合掌
※このブログは住職個人の感想程度のものです。仏教を学びたい方は書籍などをお読みください。暇つぶし程度に拝読していただくのが良いと思います。
この記事へのコメントはありません。