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一輪明月照禅心/禅語紹介⑦

朝晩ははいよいよ冷え込んできました。山寺の朝は一段と冷え込みます。その為、毎朝の6時に鳴らす鐘も億劫になりますが、日課でありますから、地域の安寧と平和を祈って鐘をついています。誰が聞いているかもわからない鐘の音ですが、もしかしたらどなたかの朝のリズムの一つになっているのだと思えば悪くはありません。

さて、今回ご紹介する禅語は「一輪明月照禅心」です。日本語に言い直すと一輪の明月、禅心を照らす。となります。

この禅語は良く卒塔婆などで書かれる事も良くあるので、見かける事がある方もいらっしゃるかもしれません。

一輪の明月とは文字通り美しく澄み切った満月です。「禅心」とは煩悩や邪心のはいる隙間がなくお釈迦様の教えのように澄み切った分別のない心境を言います。

つまり、澄み切った美しい満月の光は、暗い世界を優しく照らす。その照らされた月の光は道に迷った人には道しるべの灯りとなり、心の悩みを癒すものにもなり得ます。それこそがお釈迦様の教えのような存在であり、その心境は禅の心である、と解釈できます。

この禅語は鎌倉時代から南北朝時代に実在した曹洞宗の僧侶、大智祖継(一般的には大智禅師)の「大智偈頌」にある一文に、

「僧舎留めず塵世(じんせい)の客、一輪明月禅心を照らす」とあります。

真摯に仏道に精進してきた大智禅師にとって修行道場を離れた俗世の世界は煩悩に溢れ、煩わしいく穢れた世界に感じる事もあったやもしれません。ふと空を見上げればモノ言わぬ満月が美しく、禅師の濁った心を澄み渡らせるように清らかな心境へと変えたのでしょう。

私達も普段生活していると、個人差はありますが、身と心にストレスを抱えながら生きています。

それが当たり前になると、自身の心がすり減っている事にも気づかず、自分を傷つけ、他者を傷つける事になりがちです。

そんな自分に気づかせてくれる存在が一輪の明月であり、一度立ち止まって全てを清らかにしてくれる状態こそ「禅心」であります。

日々の喧騒を離れる事はとても大切です。そんな私にとっては坐禅が一輪の明月そのものです。

今回は「一輪明月照禅心」をご紹介いたしました。

※禅語紹介は住職の解釈と浅い教養と知識で解説しております。このブログは暇つぶし程度に見るのが正しい読み方です。ちゃんとした禅の書籍や大智禅師についての書籍を是非ご覧になって頂く事をおすすめいたします。

住職 慧嶽 匡宏 合掌

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