仏教小話/たぬ吉和尚(輪廻転生)
たぬ吉:こんにちは。住職さん。
住職:こんにちは。たぬ吉君。おや?まさかその市松模様のマスクは・・・!
たぬ吉:フフフ。気づきましたか。そうです。昨年社会現象にもなった鬼滅の刃、炭治郎柄マスクです。
住職:へ~。いいじゃない。私も息子の影響で鬼滅を見ているけど、アニメも漫画もコンプリートしてしまうほど、家族でドハマりしたよ。
たぬ吉:映画も興行収入歴代1位を記録していますし、凄いですね。そういえば、漫画の方では若干輪廻転生などの「生まれ変わり」「気持ちの伝承」などが取り扱われていたように感じました。
住職:最近の漫画は構成からキャラクター、歴史背景、モチーフにしている世界観なども含めてよく作りこまれている印象があるよね。輪廻転生などは漫画やアニメなどに好まれてよく用いられるけど、この鬼滅はまさに「受け継がれる」ことがメインテーマにあったよね。
たぬ吉:そもそも輪廻転生とはなんですか?日本人は意外と前世がどうとか、来世はなんちゃらと、意外と好きな気がしますが。
輪廻転生は仏教とは関係ありますか?
住職:(`・ω・´)キリ!
たぬ吉:(また顔が変わった)
住職:輪廻転生は仏教を語る上では避けては通れない根本思想です。そもそもお釈迦様の生きていた時代から輪廻転生は事実として認識されていますし(お釈迦様が輪廻を真実としていたかはわからない)、現代でもインドや東南アジアの地域ではこの思想が信じられています。インドは「カースト制度(1950年に廃止されている)」はこの輪廻転生を根本にある悪制(今世に生まれたのは前世の行いの為。)だとも言われてますよね。
たぬ吉:仏教ではこの輪廻から抜け出すこと(解脱)を目的としていると思うのですが、住職さんは実際輪廻はあると思いますか?
住職:難しい質問だね。確かに僕ら現代の日本人は前世や来世の話をしたり、さまざまな死後の思想をもっているけど、実際に死んだあとのことを真剣に深く考えている人なんてほとんどいないんじゃないかな。自身が死の間際になって初めて向き合うテーマだよね。
輪廻があるということは魂もあるし、もちろん死後の世界、そこから生まれる縁起や業(カルマ)などの考え方なども派生します。仏教ではこの輪廻の世界感は一度は必ず理解する必要性はあるように感じますね。
住職:ただ、私自身も輪廻転生が事実として実感しているわけではないので、その世界観を共有している状態でそこから土台にして仏教を学んでいるかな。
またご供養などの法事も輪廻がある程度前提となっている宗派もあります。
たぬ吉:仏教と深く関係しているんですね。
住職:そうだね。前回「四苦八苦・一切皆苦」のことを話したでしょ。
たぬ吉:はい。
住職:私たち人間の一生はこの苦しみが深く関係しております。これは前世であろうが、来世であろうがこの事実からは抜け出せない。もちろん大小さまざまですし、今の時代でしたら限りなく誤魔化して(趣味や恵まれた環境など)生涯を終える事も可能かもしれません。
よく勘違いされている方がいますが、同じ輪廻思想でも「今世で善行をして来世生まれ変わったらよい待遇で生まれたい。」または「来世は幸せになりたい」などという方がいますが、仏教ではそもそも輪廻転生を繰り返していることこそが「苦しみ」であるとの教えですから、この考え(対価で物事を図る)をしているうちは今世だろうが来世だろうが、安楽を得る事は難しいでしょうね。
根本的にはこの輪廻のようなループの苦しみからは免れる事はできません。仏教では六道(生まれ変わる世界)のような考え方もあります。そこで仏教の祖であるお釈迦様はそこから解脱(輪廻しない)して苦しみから救われる教えを説いた訳です。
たぬ吉:では仏教では輪廻転生を最終的に抜け出すことが目的なんですね。
住職:たしかにお釈迦様はその輪廻転生から解脱し涅槃寂静することこそが最終目標になります。先ほど言ったように多くの日本人は輪廻転生を心から実感して現実のものとしてはいません。文明が進み科学の発展もあり科学に照らし合わせた価値基準をもっている方がほとんどでしょう?
たぬ吉:たしかに。
住職:その割には「死」という最大現実(誰も免れることができない)テーマに関してなぜかほとんどの人が無関心(非現実的)なのはなんとも不思議ではありますが。
そこで、輪廻転生をDNAで考えると少し親近感ができるかもしれません。今「私」という存在の性格や能力はほとんどの場合は二つの要素が大きくかかわっています。
一つが環境的要因。二つは遺伝的要因です。現在の科学ではこの遺伝による性格、能力、身体的なものは非常に強く関係していることが分かっております。また環境にしてもほとんどの場合は親の能力や環境に基づいた環境状態が形成されています。これだけでも人類は紛れもない輪廻転生(遺伝)を繰り返し、今日の「私」というものが形成されていることが理解できると思います。
自分が生まれた場所や能力、時代は誰も選べません。この輪廻から抜け出す。その為に仏教の教えがあり、「現在の環境、自身の能力、時代」に大きく依存している私をすべて無効化する。これが仏教の基本的概念になると思います。
たぬ吉:でもそれって現代の価値観とは逆行しているような気がします。現代の日本は資本主義ですよね。環境(貧富格差)能力(親からの遺伝)が大きく関係して学校教育はより良い大学や就職ができるように勉強します。ほとんどの人は夢や目標を掲げ、より社会的ステータス向上をもって生活しています。そしてそれが善として皆信じています。
僕はそれに疑問を持ったからお坊さんになっているんですけど・・・。
住職:たぬ吉和尚の言っていることは良くわかります。だからこそ、仏教はいつの時代でもカウンターカルチャーになりえる究極の少数派を救う教えだとも言えます。現代の価値観に順応できない、もしくは疑問をもつ人は少なからずいます。例え社会的勝者と言われる人でも(人だからこそ・・ともいえる)基本的には「苦しみ(満たされない)」わけですから、仏教の教えは不変的に残るかもしれませんね。
たぬ吉:だからこそ輪廻転生を抜け出す仏道修行が重要なんですね。
住職:そうだね。少なくとも僧侶は解脱し、涅槃寂静にはいることこそゴールとしておりますね。曹洞宗的に言えば、目指している時点で一つの欲望と捉えますが、これはまた別の機会にお話しします。
たぬ吉:最後に質問ですが、僧侶は涅槃寂静を目指すとして一般の人にはそんな暇じゃないし、生活ができなくなると思うのですがどうしたらいいですか。
住職:現実的ないい質問ですね。ほとんどの方(現代社会に生きづらさがある人)にはこの仏教の概念を理解してもらうだけでも大きな助けになると思います。考え方ってその人の言葉や行動、習慣、性格を変化させる力があります。ですから今の「私」に疑問をもった方には良し悪しで変化はあると思います。
それでも納得できない、疑問が晴れない方はどこかで決断をしないといけないかもしれませんね。俗にいう出家も選択するのも道かもしれません。ただ出家したからといって現代の日本仏教もまた世俗にまみれた環境にありますので難しい事が多いのが現実です。自身にあった環境を探すことが大事でしょうね。
たぬ吉:住職さん。有難うございました。
住職:こちらこそ。
※住職とたぬ吉和尚の会話は基本的にはただの戯言です。よく学びたい方は書籍や仏門をしっかり学ばれることをお勧めします。
住職 永島 匡宏 & たぬ吉和尚 合掌
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