米原曳山祭り/住職日記
米原曳山祭りが10月8~10日の三連休に催されます。米原の曳山祭りは鎮守湯谷神社の祭礼に長浜の曳山祭りを見習い、江戸時代の後半期に始まったと云われてています。
江戸時代後期になると米原は米原港の発展と共に交通の要所となり人口が増え、繁栄いたしました。その際に長浜の曳山祭りを手本として、米原においても曳山狂言がはじまったとされます。
米原の曳山には北町の旭山組、中町の松翁山、南町の壽山組の三つの組みに分かれて実施されます。
メインである子供歌舞伎は地域の小学一年生~6年生が選ばれ、素晴らしい歌舞伎の実演をしてくれます。
さて、この青岸寺は中町の松翁山組になります。
江戸時代初期から中期にかけて湯谷と青岸寺は合祀され共にありましたが、別々になった後、特に明治以降はお寺は神社の祭事にかかわる事ができなくなりました。
特に曳山祭りなどの行事には青岸寺は一切かかわる事がなかったと思われます。私はこの現状を憂いて、数年前より積極的にかかわれる事は関わるようにしてきました。コロナ前の3年前程には、恐らく寺の住職で初めて松翁山の半被を着て曳山を引かせていただきました。
時代の流れと曳山祭り執行部の懐の深さで徐々に活動を歓迎していただいておりました。
今年は違う形で曳山祭り、米原に貢献したいとの思いから曳山祭りに合わせて青岸寺ライトアップを企画いたしました。少しでも米原駅周辺が賑わいを取り戻すようにと。そんな折、松翁山総代より寺家の長兄を子供歌舞伎にとお誘いいただきました。
予期せぬ事とはこの事です。時代の流れもありましょうが、お寺の子どもを神社の祭事にお迎えいただいたのです。本来でしたら、ライトアップイベントなど多忙になる為、お断りするのが適切ではあったと思いますが、事情を説明したのち、総代衆より認可していただき、長兄を子供歌舞伎に出演させていただく事になりました。
長兄は子供歌舞伎の練習で毎日、お稽古を頑張っています。上級生のお兄さんたちにも恵まれ、大変な中、楽しそうに稽古に励んでおります。
この度松翁山の演目は「男の花道」。長兄はえびす屋お仙という女役を仰せつかりました。女の子役を見たら応援してあげて下さい(笑)
さて、伝統文化は歴史と共に変わり、変化するべきは変化し、変えてはいけないものは変えずに大切にしてアップデートしていく必要性があります。
地域から見たら小さな小さな変化かもしれませんが、米原区の寺院にとっては大きな変化だと思っております。そして、必ず、地域やお寺にとっても良い変化だと信じております。
という事でイベントに祭りに両方ともどうしても中途半端になりますが、今年はこの半端を前向きに楽しんで右往左往しようと思っています。(関係者の皆様申し訳ございません)
皆様、どうぞ、青岸寺に来られた際は曳山祭りを、曳山祭りに来られた方は青岸寺にお越し下さい。
住職 永島匡宏 合掌
この記事へのコメントはありません。