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布施とは/たぬ吉和尚との小話シリーズ

たぬ吉和尚

晋山式とは https://seiganji.org/cms/wp-admin/post.php?post=6957&action=edit

晋山式円成https://seiganji.org/cms/wp-admin/post.php?post=7056&action=edit

※長文にお付き合いいただき有難うございました。下記に布施を象徴する話を書いております。更にお付き合いしていただける方はご覧になって下さい。

住職 永島 匡宏 合掌

元々「布施」は文字通り布を施す、要するに僧侶に「袈裟」を施す故事からきております。なので、昨年の晋山式において、檀信徒より布施の浄財を賜り、袈裟を作成させていただきました。これは、お布施の中でも僧侶にとっては大変有難い事で、特に宗門では、袈裟を譲りうけるという行為は、大変有難い、認可の証明でもあります。

お釈迦様の時代はいただいた布を縫い合わせ、縫袈裟として最低限の衣服として着用していました。

こんな故事があります。

昔の僧侶は衣食、そして生活に必要な最低限のものを托鉢して生活しておりました。

お釈迦様はこの時既に有名な僧侶でしたから、みなこぞって布施を施していたそうです。

お釈迦様は必要以上のものを貰わずに、托鉢をして修行しておりました。

ある日、同じように托鉢をする為に村はずれのボロボロの民家の前を通りました。

お釈迦様のお弟子は「仏陀よ。ここの家から施せるものはなにもありません」と言いました。

それでもお釈迦様はその民家を訪ねて、托鉢をしたのです。

民家には幼い赤子を抱いた女性がいました。女性は高名なお釈迦様が来られて、大変感激したのと同時に恥ずかしそうに言いました。

「おお、お越し頂き、大変有難いのですが、みての通り、この家には施すものはありません。」

女性は困りながらも一枚の糞掃衣(布オムツ)を渡しました。

「誠に失礼ながら、こんなものしかございませんが。」弟子たちはとっさに怪訝な顔をしました。

お釈迦様は他の布施と同じように有難く糞掃衣を頂戴しました。

そして、その糞掃衣を繋ぎ合わせ、袈裟として次の日から身に着けたのです。

弟子は「仏陀よ。そのような糞に塗れたものを着ないで下さい」と嘆願しました。

お釈迦様は「布施に綺麗も汚いもない。良いも悪いもない。しかし、あの女性の気持ちは他の布施よりも尊く、有難いお布施なのだよ。」と答えました。

この故事からわかるように、布施行とは対価ではなく「無条件の施し」になります。これが、今日の「お気持ち」につながっているのです。この「無条件の施し」なくして、布施行にはならない。条件をつけたら「布施」ではなく条件付きの施しになり、対価になるという事です。

私達は余りにも資本主義的な価値観に支配され、本当に意味での助け合い、価値のつけられない大切なものを見落としている気がします。布施の考えは確かに、現代の社会常識では理解されずらい価値観だと、思っています。しかし、この無条件で施しをし、そしてまた対価を求めない繋がりもまた、人間たちが営んできたものでもあります。この縁起を今一度大切にできたら、もう少し気持ちのいい社会が実現できるのではないかと模索しているところであります。大変な長文にお付き合いいただき有難うございました。

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