「人生を変える六つの実践」ー六波羅蜜に学ぶ人生の生き方ー
皆さんごきげんよう。
先日、台風の影響で境内が大荒れとなり、気が滅入っていると、庫裏の屋根下にスズメバチが巣を作っていて、更にその時に限って、子供が少し問題を起こしてバタバタした一日となりました。
結局は一つ一つに対処していくしかないですから、境内を掃除して、ハチの巣を処分して、夜に子供と坐禅しながら、心のお話をしたりと、一日だけ見ても、人生とは思い通りにはいかないものです。
さて、唐突ですが、あなたは他人と自分を比べた事はありますか?ないと答えた方はそっと、このページを閉じてください(笑)
あると答えた方は、疑問に思ったことはないですか。同じような環境で、同じようなステータス(能力、見た目、立場)なのに、人によって人生は大きく変わっているのだと。
運でしょうか?処世術の上手さでしょうか?育ってきた環境?
私はそれらに答えを求めても、良い答えはないと思っています。
そして、長年私は、その違いを考えてきました。
私は、その答えを仏教の「六波羅蜜」という教えの中に見出しました。
六波羅蜜とは「こんな人になりましょう」という理想論を語るものではありません。
迷いながら生きる私達が、今日一日をどう歩めばいいのか。
その道しるべのような教えです。
六波羅蜜は「布施」「持戒」「忍辱」「精進」「禅定」「智慧」の六つからなる教えです。
六波羅蜜は、お釈迦様が説かれた「八正道」を土台とした、大乗仏教の実践です。
八正道は「苦からの解放を主とした実践」ならば六波羅蜜は「利他の実践」といえ、大乗仏教の思想である「菩薩」としての生き方を説いている、有難い考え方です。
私自身、この教えに何度も助けられてきました。
※八正道についてはとても大切な教えなので、また今度書かせていただきます。
~ 六 波 羅 蜜 ~
布施(ふせ)・・・他人に施し(財施・法施・無畏施など)を無条件で与えること。
持戒(じかい)・・・戒律を守り、他者を傷つけず、自分も傷つけない、道徳的な生活をすること
忍辱(にんにく)・・・怒りを観察し、苦しみを自覚して耐えること
精進(しょうじん)・・・対象に対して、真摯に向き合い、研鑽し努力を積み重ねること
禅定(ぜんじょう)・・・心を静め、精神統一し、条件付きの世界から離れること
智慧(ちえ)・・・真理を知り、本質を見極める正しい知識や見方ができること
布施(ふせ)~みんな助け合って生きているよね~
布施には様々な施しがあります。自身の財を惜しみなく、困った人に施す事。ボランティア基金や災害復興の支援金などはこれにあたります。法施とは、僧侶が読経や法話、そして施主から施しを僧侶が受ける事も法施になります。無畏施は何か困った人の恐怖や不安を取り除く施しです。例えば地震などの災害ボランティアや傾聴活動、法要などもそれにあたります。他にも、言葉や表情、など財産がなくても、相手からの見返りを求めない(無条件)施しは全て布施行です。
持戒(じかい)~君は世界と繋がっているよ。だからこそ大切いしよう~
持戒とは「してはいけないこと」を増やす教えではありません。自己の感情が乱れないように、自分を守る為の一つとして、戒(十重禁戒等)や律(社会的ルール)を保持します。私達は社会や自然と共生しております。そこから逸脱すれば、カルト信仰になり、妄信的、または破滅的な思想に向かいます。だからこそ、自分を守るためにも、社会との調和を大切にするのです。
忍辱(にんにく)~我慢する事じゃないよ。自覚する事が大切だよ~
言葉通り見れば「耐え忍ぶ事」です。日本人が好きそうな言葉ですね。ただ、この忍辱はただ抗えない状態に自動的に我慢する事ではなく、自分の性格の傾向性を理解し、そこから生じる苦しみを自覚し、耐え忍ぶことです。なぜ、苦しむのか、その原因はなぜなのか。意味なく我慢するのではなく、意義があるのであれば堪える。意義が無ければ、時には離れる事も大切です。
精進(しょうじん)~努力至上主義ではないよ。方法も大切~
正しい努力をすること、自分の人生に眼曇りなく進める道があるのならば、真摯に向き合い、正しい方法で実践(経験)し、座学(勉強)し、その目標に近づけるように努力を積み重ねていく事です。ただ、人の何倍も頑張ります‼という事ではないという事です。
禅定(ぜんじょう)~対価(条件)のある世界からは気づけない事ってあるよね~
私たち禅宗の僧侶が特に大切にしている実践の一つですね。私達は静かに坐禅などを実践することにより、条件付(対価がある)の世界から離れ、無条件(価値をつけない)の中、坐禅をして、禅定力(条件を求めない力)を保って日々の生活をいたします。その時に初めて、当たり前と思っていたことが、実は当たり前ではなかったと気づくことがあります。
智慧(ちえ)~頭がいいとかじゃないよ。いろいろな見識と見方ができて、本質を理解する力だよ~
智慧とは知識の量ではなく、真理を理解し、様々な見識を持ちながら、多種多様な見方ができ、その中で本質を見抜く力の事をいいます。仏教の信仰者は勿論、お釈迦様の真理を軸として智慧を高めていきます。ただ、智慧は妄信する事でもありません。時には疑問をもち、様々な仮説的見解を用意しながら、真理に近づいていく事も智慧の実践であります。智慧とは、知識を増やす事ではなく、生き方そのものの在り方を照らす光なのです。
この六波羅蜜の実践はそれぞれ単独している実践ではなく、全てが相関関係のように繋がっています。すべての実践を心がける事が菩薩行(仏の生き方)であります。
菩薩の生き方は他者(利他)の為の生き方です。これは意外と理にかなっていて、人は自分の為だけを追及した生き方より、他者の喜びや、救済などの関り方をした方が、深い充実感を覚える事が少なくありません。
もし、今の貴方の心が他人と比べる事がクセになっているのならば、この六波羅蜜の実践を通して、他者の幸せや、人を楽しませる事に対象を変える事ができたならば、貴方の人生は間違いなく変化します。少なくとも、この人生は主観でとらえています。その主観が変われば、人生は変わります。それが、六波羅蜜の実践(利他行)であるならば、良い方向に人生を歩む事ができるでしょう。
私も六波羅蜜を心がけながら日々を過ごしています。勿論、できてない日々も多いですが、昨日のような出来事があった日ほど、「今日は六波羅蜜が試されているな」と思うようにしています。
いきなり明日から全部の実践は難しいでしょう。だから、まずは一つだけでもいいのです。
例えば、
・誰かに笑顔で優しい言葉をかける(布施)
・約束を守る(持戒)
・怒りが出たら、一呼吸してみる(忍辱)。
・今日やるべきことを一つやり切る(精進)
・5分だけ静かに座ってみる(禅定)
・SNSで情報を鵜呑みにせず、自分でも調べてみる(智慧)。
これだけでも、六波羅蜜の実践はスタートしています。
六波羅蜜は、特別な修行ではありません。今をどう生きるか。
その一つ一つが、すでに仏道なのだと思います。
私もまだまだ修行中です。
六波羅蜜は、完成した人が実践する教えではなく、迷いながら歩く私達一人一人の道なのだと思います。
一緒に歩んでいけたら嬉しいですね。
住職 慧嶽 匡宏 合掌
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