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最後の母の笑顔

「もうそろそろだから、覚悟しといて」

突然、長男からの連絡にたいしたリアクションもせずにスマホを切る。

切ったスマホを見つめながら、母親の顔を思い浮かべる。

最後に会えたのは、私の晋山式の時だった。末期の癌だった母は、元気だった頃に比べたら少しやつれた、母を見て、少し寂しい思いになる。

「冥途の土産に、貴方の晴れ姿がみたい」

母親の願いを聞けて、ほっとしたのも束の間、三か月後の事だった。

最後になるかもしれないと、滋賀県から実家の静岡県に里帰りをする。

実家に向かう車の中、母との思い出が頭をよぎる。

明るく、優しい母だった。とんでもなく弱点もある母ではあったが、それよりも、ちゃんと愛をもって育ててくれた。昭和生まれの母親らしい、放任主義、勉強しろと一度も言われた事がない。なにか強制された事がなければ、全てを無償の心で受け止めてくれていた。そんな母を思い出す。

実家に帰ると、二か月前に母が好きだった猫が描いているイラスト画をお土産にしての再開だった。

そこにいたのは、更にやせ細り、生気もない母が介護専用のベットに横たわり、誰が見ても、もう長くないと理解するには十分であった。ふと込み上げる気持ちを抑えて、母に声をかける。

「ただいま。」

「なんだ、帰ってきただ」

途切れそうな声、でも馴染みのある静岡なまりの声。母になんと声をかけていいかわからなく、猫のイラストを渡すと、嬉しそうにイラストを眺めていた。ときおり酷く痛むようで、辛そうな顔になる。

暫く沈黙があって、恐らく幻覚が見えているのだろう。理解できない事を少し話して、その話を合わせながら、母を見つめる。多分これが最後になるだろう。感謝の気持ちを伝えるか迷っていると、

母が突然、何も言わずに、元気だった頃のように、にかッと笑って笑顔を見せた

私は一瞬あっけにとられると、また沈黙になる。

「じゃあ、ゆっくりしてな。また来るね」といって母と別れた。

その3日後、母は息を引きとった。

母の葬儀には沢山の方が参列していた。喪主席の隣で、母の最期の笑顔を思い出す。

あの笑顔はなんだったんだろうか?私に心配をかけまいとした笑顔だったのか、いろいろな事を考える。

あの笑顔は、私が幼い頃から見ていた母の曇りなき笑顔だった。きっと、母はそうしたのだ。理由はない。多分私がそこにいたから、最後に笑ってみせたのだ。

母は最期まで母でいてくれたのだ。そう納得した。

ふっと考える。

私は、自分の子供に同じ事ができるだろうか?最後に笑顔を残せるだろうか?

そして、最後になんで感謝の気持ちを伝えなかったのだろう。あなたの息子で良かったと。有難うと。

普段、檀信徒に生きてるときにこそ、感謝を伝えないといけないと偉そうに講釈たれていたのに情けない気持ちになる。

それでも時間は経過し、葬儀の読経をしながら、母の遺影を見る。最後の笑顔のような朗らかな顔で笑っている。

その時、ふっと腑に落ちた。母は末期に私に教えてくれたのだ。何一つ、私に教えをしてこなかった母親が、最後に笑顔を通して教えてくれたのだ。慈愛の笑顔で、私の母の思い出は最期の笑顔になったのだ。

母は笑顔を見せ、教えてくれたのだと。

直接は言えなかったけど、ここで感謝申し上げる。ご苦労様でした。そして有難う。

磯田(旧姓) 匡宏 合掌

編集後記 

母は生前、私のブログを見るのが好きでした。母が、この文章を見てくれる事を願います。

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