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あなたをみつめる展の「あなた」/住職日記

みなさんごきげんよう。梅雨の青岸寺は湿度が高く、一日中ジメジメとして中々大変です。負の側面もあれば、功の恩恵もあります。

雨が降ると青岸寺庭園はいつもより輝きをまし、より美しく活き活きと一つの命のように鼓動がきこえてくるようです。苔や植物の喜び、石組の本質的美、不定期であり一定の雨の音。小さな庭園のおおきな生命力と仏教の壮大な世界と禅の静寂を感じる事ができます。

住職である私は毎日庭園を観る機会があるのですが、春夏秋冬、朝から夕、と見え方が変化します。更に不思議な事に自身と心境によっても変化します。

同じ庭園を見ているはずなのに、ある日は美しく見え、ある日は静かに見え、またある日はどこか寂しく見える。

何を美しいと感じるのか。何に感動するのか。それはすべて、主観的な「私」の心を通して見ている世界なのかもしれません。

さて、現在アートイベント「あなたをみつめる展を青岸寺で開催しております。この「あなた」とは誰の事を指しているのか。「誰」が「あなた」を見つめているのか。

この「あなた」とは主観的な「私」に問いてます。ではこの「あなた」は誰でしょうか?

今回のアート展で言えば、作品なのか、それとも作品を通じて「私」自身を「私」が見る自己観察の事を指すのか。

勿論、芸術作品はその作家の「無明」「煩悩性」を作品を通じて伝えています。その感性に触れ、時には共感を感じ、時には刺激をうけ感動するわけです。

作品は見る者の等身大を写す鏡でもあります。強く惹かれる作品、まったく興味のない作品、はたまた教養としてみる作品、様々ですが、どちらにしても、作品はまさに「わたし」を投影しているといっても過言ではないでしょう。

例えばとんでもない衝撃的な作品をみて、何か感じる事がある場合は、それは、貴方にもともとあった煩悩性に触れたといえます。

ようするに芸術や音楽、文学、哲学、宗教すべてにいえるが、全ての作り出した者は「あなた」を投影している。よって「あなた」を見つめるすべては「私」であるし、「私」も「あなた」であります。

これは仏教で言えば、私達は世界をそのまま見ているのではなく、自らの心を通して見ていると考えます。

難しい説明はここでは省きますが、唯識という教えでは、この世界のあらゆる出来事や現象は、自分自身の心の動きと深く関わっていると説きます。

そう考えると、作品を見つめているようでいて、実は作品を通して自分自身を見つめているのかもしれません。

今回の展覧会は勿論、作者たちの意図があります。

しかし、その意図を知らなくても構いません。まずは自由に感じてみて下さい。

美しいと思えば、それで良い。不思議だと思えば、それで良い。

何も感じなくても、それもまた一つの出会いです。

その上で、作者の思いを知ったり、誰かと語り合ったりすると新しい発見があるかもしれません。

庭園を眺めながら、時々考えます。庭園を見ているのは私なのか。

それとも庭園が私をみているのか。作品を見ているのは私なのか。

それとも作品が私をみているのか。

答えはわかりません。しかし、だからこそ面白いのです。

今回の「あなたをみつめる展」が、自分自身を少しだけ見つめるきっかけになれば幸いです。

残り8日です。是非お越し下さい。

住職 永島 匡宏 合掌

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