たぬ吉和尚の青岸寺案内 其の七「本尊聖観世音菩薩」

みなさんこんにちわ。たぬ吉です。今日は住職さんも一緒に案内してくださるようなのでよろしくお願いします。
たぬ吉「住職さん、今日はどこをご紹介しますか?」
住職「今日は、青岸寺の中心であり、最も大切なご本尊様のご紹介をしましょう」
たぬ吉「青岸寺のご本尊様は観音様ですよね。」
住職「そうだね。聖観世音菩薩様です。現在は県指定文化財に登録されています。」
たぬ吉「それにしても、いつ見ても立派なご本尊様ですね。こう言ってはなんですが、青岸寺はけっして大きいお寺ではないですが、ご本尊様は本当に立派ですよね。」
住職「ご本尊様はって…まいいや、)そうだね。青岸寺の宝は三つあって「本尊」「青岸寺庭園」「檀信徒」は青岸寺には勿体ないくらいの宝だね。
たぬ吉「聖観世音菩薩様の縁起を教えて下さい」
住職「こちらのご本尊様は聖観世音菩薩坐像です。南北朝時代1378年頃佐々木六角家によって、京都の仏師尭尊に依頼して造られたのが、こちらのご本尊様です。大変苦労されたご本尊様で、こちらの裏手にあります山は太尾山と言い、昔は山頂に太尾城がありました。」
たぬ吉「お城があるという事は、戦もあったと。」
住職「度々、戦があり、寺院と神社共々戦禍にあい、消失したらしいのですが、ご本尊様だけはその都度難を逃れ、お寺が再興されては、戦になりと繰り返しているようです。16世紀になると浅井家の侵攻にともない、再び戦禍の難を免れず、寺院が燃えると、当時数件あった近くの村人の民家によって護られ、ご本尊様だけは安置されたそうです。1530年~1550年頃に旅の沙門龍渓によって村人と協力して小さな御堂を建てられたようです。この時龍渓によって書された「米泉寺由来」によって記録されています。
たぬ吉「そんな大変な目にあいながら、護られてきたご本尊様なんですね。」
住職「その後、1650年頃になると、彦根大雲寺の三世要津守三和尚が米原に来られた際に、小堂の本尊様をご覧になられて、大変悲しんだそうです。このまま、この立派な観音様が粗末な御堂では不憫だということで、この地に新たに寺院を建立されたのです。こうして、現在の青岸寺の本尊様としてこの寺院を護り、導いて下さっているわけです。」
たぬ吉「…しくしく。」
住職「たぬ吉君、泣いてるの?」
たぬ吉「これだけ苦労されて、多くの方に護られて、今ここに居られるのだと思うと、有難い気持ちです」
住職「そうだね。ご本尊様の歴史を少しわかるだけでも、その有難みがあるよね。私としても、1650年再興時代から今日まで、26代の住職がご本尊様を御守りしていたという事実からも、責任の重大さを自覚させられます。」
たぬ吉「住職さんも、この本尊様を次世代に継承していく為に、御守している一人なのですね」
住職「歴史の担い手になっている自覚はあります。寺院を取り巻く環境は時代の変化と共に大変になってきています。でも、戦禍に見舞われながらも、本尊様を護りぬいてきたわけですから、言い訳はなに一つできません。誠心誠意精進していこうと思っているよ。」
たぬ吉「そういえば、ご本尊様には特徴があると聞きましたが。」
住職「そうなんです。この本尊様はお腹に八寸ばかりの観音様が奉納されている「腹籠り観音」なのです。お腹の観音様は南北朝時代に戦に旗竿にくくりつけられていた念じ仏で、戦のご利益が大変あった事から、当時の住職と打ち合わせて、お腹の中に奉納したとの事です。現在は秘仏として、公開はされていませんが、いつかは公開してみたいですね。」
たぬ吉「安産とか子宝にご利益がありそうですね。他にも元々は祈願寺であった本尊様だから、大変強いパワーがありそうです」
住職「ご利益の云々はわからないけど、有難い事には変わりないからね。私は禅宗の僧侶らしく、かなり合理的で、理屈っぽい性格ではありますが、こちらの本尊様と相対していると、なんとも不思議な気配がします。これは理屈ではないですね(笑)」
たぬ吉「それでは、ご一緒にご本尊様に手を合わせましょう。」
住職「そうだね。本尊様、いつもありがとうございます。合掌」
住職 永島 匡宏 たぬ吉 合掌
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