1. HOME
  2. ブログ
  3. たぬ吉和尚の青岸寺案内 其の八「青岸寺」

たぬ吉和尚の青岸寺案内 其の八「青岸寺」

みなさんごきげんよう。居候和尚のたぬ吉です。

今日は青岸寺の縁起(歴史)を説明します。ここはいつも僕が皆さんをお出迎えしている場所です。

青岸寺には様々な方が参拝に来られます。庭園を見に来られた方、写真を撮りに、ご朱印目的、喫茶目的、仏像目的と今まで僕が紹介してきたところ以外でも、様々な目的をもってお越し下さいます。

そんな青岸寺は前身の「米泉寺(べいせんじ)」が縁起の最初であります。

近江守護職の佐々木京極道誉氏が宿願により法華経八巻を書写したその一軸を納め、武運長久の祈願所として、不動山(太尾山)米泉寺として開かれる。創建が1356年~1360年の南北朝時代延文だと伝えられる。

※一説によると8世紀頃に湯谷神社の社寺として建立されたと記録あり。ただ、信憑性は今のところ薄いです。

太尾城は度々戦禍に合うが、1469年頃佐々木家同族の米原氏(よねはら)によって再興される。

1500年頃に戦禍により再び焼失すると、近くの民家に本尊聖観世音菩薩は難を逃れ安置される。

1534年頃に沙門龍渓によって小さな小堂が建てられ米泉として再興される。

1650年に彦根大雲寺住職要津守三禅師によって新たに寺院を復興させる。

この時第一青岸寺庭園が造園される。

寺院復興に尽力した伊藤五郎助没後、諡である「青岸宗天」から青岸を貰い、青岸寺と改め吸湖山青岸寺となり、曹洞宗の末派となる。

1677年頃に彦根玄宮園の一部にある楽々園前庭園造園の際に、一代目の青岸寺庭園の石や灯篭を抽出したため、消失。同時期に二代目の庭園が彦根藩士香取氏によって造園される。

1878年に明治天皇がお越しの際に、「十六八重表菊」の使用を許される。

1903年に青岸寺書院が森田悟由禅師によって建立される。

1934年に国指定名勝庭園に登録される。

大まかな歴史としては、このような寺院になります。

文化財は名勝「青岸寺庭園」県指定文化財本尊「聖観世音菩薩坐像」米原市文化財「十一面観音菩薩」になります。

本堂は明和元年1764年に建立された本堂が最も古い建造物になります。

資料が余りにも少ない為、さほど、歴史文献は少ないのですが、これからわかる事おあるかもしれません。米泉寺時代の資料はほぼ焼失しているため、おそらく新たな発見はないと思いますが、思想としてこの寺院の特製は現在もそうですが、中々面白い特徴が昔からあったと思われます。

現在は、観光寺院としてどなたでも受け入れており、参拝者には喫茶などの提供もしているお寺です。

また、現代アートやコンサート、マルシェやライトアップイベント、学び舎、禅体験など、文化の発信と共に、伝統、禅の伝える道場として、地域以外に留まらず、海外の方も参拝に来られる寺院です。

皆さん、是非お越し下さい。僕も玄関前で皆さんの参拝をお待ちしております。

たぬ吉和尚 合掌

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

コメントするためには、 ログイン してください。

関連記事